国東界隈、ねほりはほり編

5. 峯入りは、何を受け継いで歩くの?

六郷満山という名前を掘り、仁聞菩薩が開祖となった伝承を読み、八幡神に与えられた姿を見て、神仏習合という言葉の中身をほどいてきました。

ひとまずの区切りに掘りたいのは、書物でも像でもなく、道です。国東の峰や岩屋をめぐる修行、峯入り(みねいり)。この道を歩く僧たちは、何を受け継いできたのでしょう。

峯入りでは何をするんですか?

六郷山の僧たちが、半島に散らばる岩屋や寺、峰の行場(ぎょうば)をめぐる修行です。白装束で山道を進み、各所で祈り、加持や行法を行います。現在の集団での峯入りは、行程によって違いはあるものの、半島をめぐる長い道のりになります。

国東物語の第1章で見た、両子山から放射状に広がる谷。その谷々の寺を、山を越える道がつないでいます。地図に線を引くだけでは見えませんが、歩き、祈ることで、離れた行場が一つの修行の世界になります。

誰が峯の道を示したと伝わるんですか?

峯入りの始まりを語る伝承では、斉衡2年(855)、津波戸山で修行していた**能行(のうぎょう)**の前に仁聞菩薩が現れ、六郷の山をめぐる道を示したとされます。第2回で見た仁聞は、八世紀に二十八寺を開いたと語られる人物でした。その仁聞が、後の修行者にも道を示すのです。

これは、855年の出来事をその場で書き留めた記録として読む話ではありません。仁聞ゆかりの行場を歩くことに、どんな意味が込められたかを伝える起源の物語です。開祖の歩みをたどるという形で、寺々の修行者は自分たちの道を語ってきました。

ただ、伝承の道筋と、現在歩かれる道とを、すべて同一の線として地図に描くこともできません。行場や道の使われ方も、長い歴史の中で変わってきました。

同じ形で、ずっと続いてきたんですか?

僧が一人前になるために峯を歩く。そのような修行が六郷山で重んじられてきました。しかし、今見る集団の峯入りが、そのまま千年以上続いたわけではありません。

江戸時代には、複数の僧がともに巡る集団形式が整えられました。個々の僧の修行であると同時に、各寺が参加して六郷山のつながりを確かめる機会にもなったのでしょう。歴史資料では、江戸時代の集団での峯入りは、およそ二十年に一度行われたと説明されています。

やがて、その集団での行は長く途絶えます。最後の江戸時代の峯入りから百年以上が過ぎた戦後、僧侶や地域の人々は峯道と行場を調べ直し、昭和34年(1959)に再興しました。踏み跡が残っているだけでは修行は戻りません。どこを歩き、どこで祈るかを確かめ、もう一度行うと決めた人たちがいたのです。

この中断と再興を知ると、「受け継ぐ」の意味が少し変わります。ただ同じ形を守ることではなく、途切れたものを探し、選び直して、次へ渡すことでもあったのです。

いま歩く僧たちは、何を受け継ぐ?

現在も六郷満山の僧たちは峯入りを行っています。およそ十年に一度と紹介されますが、その内容が毎回同じわけではありません。2010年は六日間で54か所、2017年は二十日間で183か所を巡ったという記録があります。2017年の行は、翌年の開山1300年の節目を前に、巡る霊場を大きく広げたものでした。

宇佐市の案内には、御許山や宇佐神宮から始まり、熊野磨崖仏で開白の護摩を行い、道中で散華や岩飛びなどの行法を重ね、両子寺で結願する峯入りが紹介されています。行場での祈り、僧侶どうしのつながり、仁聞の足跡をたどるという伝承。そうしたものを受け継ぎながら、行程はその都度組み立てられているのです。

私たちは、その道をどう歩けますか?

「六郷満山の峯入りの道」のうち、古い道の姿を残す四つの区間が、文化庁の「歴史の道百選」に選ばれています。また、国東半島峯道ロングトレイルでは、寺や行場を結ぶ道の一部を、一般の歩き手もたどれます。

もちろん、ロングトレイルの一区間を歩くことと、僧侶が祈りや行法を重ねる峯入りは同じではありません。それでも、自分の足で谷を出て、峠を越え、次の寺に着くと、地図では一つの線だった道に、高低や距離、風や匂いが生まれます。

全行程でなくても、一区間でよい。一つの寺の山門から奥の院まででもよい。歩いた人にだけ見えてくる国東があります。僧侶たちが何世代もこの山へ戻ってきたことを思いながら、その道に少し触れてみることはできます。

今日のねほりはほり、そしてひとまずの結び

  • 855年に仁聞が能行へ道を示したというのは、峯入りの始まりを語る伝承
  • 集団での峯入りは江戸時代に形が整い、長い中断を経て1959年に再興された
  • 現代の峯入りでも巡る霊場や日数は変わる。祈りと行場のつながりを受け継ぎながら、僧たちは道を歩き直している
  • 一般の人も峯道の一部を歩ける。その体験を、僧侶の修行とは区別しながら大切にしたい

六郷の地名も、仁聞の物語も、八幡神の姿も、神と仏の関係も、この半島では書物の中だけの話ではありません。山を歩けば、岩屋や石仏、寺と社が、別々の谷の風景の中に現れます。

国東は、歩けばわかる。

机を離れて、靴を履きましょう。まずは、行けるところから。 歩けばまた新しい「そもそも」が見つかります。ねほりはほりも、ここで終わりではありません。


行ってみよう:五辻不動への短い道

最初の一歩には、旧千燈寺の上方にある**五辻不動(いつつじふどう)**はいかがでしょう。国東市観光協会によると、不動茶屋の駐車場から歩いて10分ほど。短い道ですが岩場もあるので、足元には注意が要ります。

五辻不動は国東半島峯道ロングトレイルのK-1コースにも含まれます。霊仙寺から大不動岩屋、旧千燈寺を経て岩戸寺へ向かう長い道のうち、ほんの一部に立つことになります。岩棚からは国東の山並みと海を望めます。

途中には、アントニー・ゴームリーの鉄の人体像《ANOTHER TIME XX》も立っています。国東市の紹介によると、作家は自分で千燈岳の山道を歩き、五辻不動に近い岩場を設置場所に選びました。かつての修行の道を歩きながら、現代の作家がどこに立つかを考えた。その像を目にすると、同じ山に向けられる視線が時代によって違うことにも気づかされます。

10分の道でも、自分で歩けば、岩の硬さや風の向きを感じられます。僧侶たちの峯入りを思いながら、そこから見える風景を、まずは自分の目で確かめてみてください。

参考資料