国東物語 ― 史料でたどる国東1300年

11. 仏の山、旅の山

江戸時代、六郷満山の寺々は、両子寺を中心に新しい形で結び直されました。 しかし明治の始まりとともに、そのつながりはもう一度大きく揺さぶられます。

引き離された神と仏

明治元年(1868)、新政府は神と仏を分ける方針を打ち出しました。 長いあいだ同じ境内で祀られてきた神と仏は、神社と寺、神職と僧侶に分けられていきます。

その影響を最も大きく受けた場所の一つが宇佐神宮でした。 境内にあった神宮寺・弥勒寺(みろくじ)は廃され、仏堂や仏教に関わる品々は境内から取り除かれました。 奈良時代以来、宇佐の神と仏を結ぶ中心だった寺は、ここで姿を消したのです。

けれど、弥勒寺に祀られていた仏まですべて失われたわけではありません。 弥勒仏坐像は宇佐の極楽寺へ、薬師如来坐像は大善寺へ移され、別の場所で守られました。 建物と制度は失われても、仏像は新しい居場所を得て、祈りを受け続けたのです。

国東半島の寺々でも、神社の境内から仏像や仏具が移され、僧侶と神職の役割が分けられました。 寺や仏像が失われた場所もありましたが、その影響は寺ごと、地域ごとに異なります。

奈良時代、朝廷も関わりながら、宇佐では神と仏がしだいに結びついていきました。 それから千年以上を経て、明治政府は、今度は制度の力で二つを引き離そうとしたのです。

修験道の禁止

明治5年(1872)には、修験道(しゅげんどう)を禁じる命令も出されました。 山で修行してきた人びとは、天台宗や真言宗の僧侶になるか、神職になるかを求められます。 神と仏をともに祀りながら峰々を歩く修験は、そのままの形では認められなくなりました。

ただし、六郷満山の集団峯入りが途絶えたのは、明治の政策だけが原因ではありません。 江戸時代に整えられた集団峯入りは、幕末の嘉永6年(1853)を最後に、すでに行われなくなっていました。 神仏分離と修験道の禁止は、その再開をさらに難しくしたのです。

制度の上では、神と仏は別のものになりました。 けれど、人びとの記憶から、それまでの信仰がすぐに消えたわけではありません。 寺では仏像が守られ、村では修正鬼会(しゅじょうおにえ)などの祈りが受け継がれました。

途絶えた道を、もう一度

峯入りが再び行われたのは、昭和34年(1959)のことでした。 嘉永6年の最後の集団峯入りから、百年以上が過ぎていました。

六郷満山の僧侶たちは、残された記録をもとに、仁聞(にんもん)菩薩ゆかりの寺や岩屋を巡る道をたどりました。 それは昔の行事を見世物として再現したものではありません。 途絶えていた修行を、現代にもう一度つなぐ試みでした。

現在の峯入りでも、行者たちは宇佐神宮の奥宮がある御許山(おもとさん)で前行を行い、宇佐神宮に参拝してから国東半島へ入ります。 寺や岩屋を巡り、最後は両子寺で行を終える。 明治の制度によって引き離された神と仏は、峯入りの道の上では、いまも一つの祈りのなかにあります。

峯入りは毎年行われるものではありません。 長い間隔を置きながら、そのたびに僧侶や地域の人びとが道を確かめ、失われかけた霊場を訪ね、祈りをつないできました。

続いてきた火

修正鬼会もまた、六郷満山の祈りを現在へ伝えるものです。 かつて多くの寺で営まれていたこの法会(ほうえ)は、現在では天念寺で毎年、成仏寺と岩戸寺では交互に受け継がれています。

松明の火を掲げる鬼は、追い払われる悪者ではありません。 人びとに無病息災と五穀豊穣をもたらす、仏の化身です。 その姿には、神と仏、山の信仰、村の暮らしが重なった六郷満山の世界が、いまも表れています。

祭りを営むには、僧侶だけでなく、道具を整え、火を守り、行事を支える地域の人びとの力が必要です。 制度や寺院組織が変わっても、そうした人びとの手によって、祈りは次の世代へ渡されてきました。

修行の山、旅の山

戦後、道路が整い、文化財の調査や保存が進むと、六郷満山を訪れる人びとも増えていきました。 仏像や磨崖仏を訪ねる人、修正鬼会を見る人、峯入りの道を歩く人、岩峰の景観にひかれて山へ入る人。 この半島を訪れる理由は、一つではありません。

けれど、六郷満山が修行の山から観光の山へ置き換わったわけではありません。 いまも僧侶は護摩を焚き、行者は峰々を歩き、地域の人びとは祭りを支えています。 六郷満山は修行の山であり続けながら、歴史を学び、仏を訪ね、風景を歩く人びとにも開かれた「旅の山」になったのです。

祈りの文化、「国東らしさ」

山を歩けば、そこには一つの時代だけの風景はありません。

火山がつくった岩壁に仏が刻まれ、中世の石塔のそばに江戸時代の仁王が立ち、近代に架けられた石橋の先を、現代の行者と旅人が歩いています。 海を越えた人びとの交流、朝廷と宇佐の関係、神と仏の出会い、荘園の繁栄、戦乱と再興。 この物語で見てきたすべての時代が、同じ山と谷のなかに重なっています。

古いものが、何も変わらず残ってきたわけではありません。 失われた建物があり、途絶えた道があり、別の場所へ移された仏もあります。 それでも人びとは、その時代にできる形で、祈りの場所を守り、意味を重ねてきました。

神と仏を分けた制度のあとにも、宇佐から国東へ続く峯入りの道はよみがえりました。 仏の化身である鬼は、いまも松明の火を掲げて村に福を運びます。

国東らしさとは、古いものがそのまま残ったことではなく、時代ごとに姿を変えながら、それでも祈りの場であり続けたことなのかもしれません。