国東界隈、ねほりはほり編

1. 改めて、六郷満山って何ですか?

国東物語を通して読んでくださった方も、ここから読み始めた方も。 「六郷満山(ろくごうまんざん)」という言葉、じつは分解してみると謎だらけです。 六郷って何? 満山って何? いつから、誰がそう呼んでいるの? 今回は、この看板の四文字を根掘り葉掘りしていきます。

そもそも「六郷」って何ですか?

律令制の行政区画です。国は郡(こおり)に分けられ、郡の下に「郷(ごう)」という単位が置かれました。 国東半島は豊後国の国埼郡(くにさきのこおり)。そこに置かれた郷が、

来縄(くなわ)・田染(たしぶ)・伊美(いみ)・国東(くにさき)・武蔵(むさし)・安岐(あき)

の六つでした。10世紀に編まれた辞書『和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』には、国埼郡の郷としてこの六つが見えます。「六郷」の典拠です。

律令制の六郷のおおよその範囲

両子山を囲む六つの郷(おおよその範囲)
(地図: © OpenStreetMap contributors/クリックで拡大)

地図を見ると、六つの郷が両子山をぐるりと囲むように並びます。 第1章で見た放射状の谷と、重ねて眺めたくなる配置です。ただし、古代の郷の境界を地図の線どおりに確定できるわけではありません。

その郷名、今も住所に生きています

ここが国東の面白いところです。古代の史料に見える六つの郷名は、現在もすべて地名として残っています。

  • 国東市国東町、武蔵町、安岐町、国見町伊美
  • 豊後高田市田染(田染小崎、田染真中……)、来縄

残っているのは郷の名前です。古代の行政区画の範囲が、そのまま現在の町や大字の範囲になったという意味ではありません。それでも、古代の地名を今の住所に見つけられるのは、なんだかうれしくなります。

その六郷、いつ決まったんですか?

「郷」という単位そのものは、大宝律令(701年)にはじまる律令体制の中で整えられました(当初は「里」と呼ばれ、8世紀はじめの制度改正で「郷」に)。

では国東の郷はいつからあるのか。個別の郷名が文書に現れる早い例として、天平勝宝2年(750)に来縄・安岐・武蔵の郷の一部が宇佐八幡の比咩神(ひめがみ)の封戸(ふこ)――神様の経済を支える指定地区――にあてられた記録があります。奈良時代の半ばには、もう郷名が公文書で動いていたわけです。しかも早くも宇佐の神様とセットで登場しているところが、いかにも国東です。

六つ揃った形で確認できるのは、先ほどの『和名類聚抄』(10世紀)。以後この枠組みが、半島の呼び名の土台になっていきます。

で、「六郷満山」って誰が言い始めたんですか?

ここからが本題です。まず種明かしをひとつ。

古い史料でまず目にする呼び名は「六郷山(ろくごうさん)」です。

少なくとも、残る史料から見えてくる「六郷山」は、朝廷が定めた行政区画の名称ではありません。宇佐宮・弥勒寺や山の寺々に関わる文書に、その呼び名が見えます。誰が最初に名付けたかはわかりませんが、六つの郷にまたがる山岳仏教の世界を指す名前として使われていたのです。

ここからは史料で確かめられることを離れて、少し想像してみます。律令制に由来する「六郷」という地名が、後には山の寺々を指す名前にもなった。国東物語の第4章で見た、古い制度の名目と地域の実際の営みが重なる姿を思い出します。名付けた人の意図まではわかりませんが、ひとつの古い地名が、新しい共同体を語る言葉にもなっていった――そう読むと、国東の歴史が少し身近になります。

文書の上では、六郷山に関わる最古級のものとして平安時代後期の余瀬(よぜ)文書が知られています。そして共同体の全体像がはっきり見えるのは鎌倉時代――安貞2年(1228)の『六郷山諸勤行幷諸講記録』は、満山の一年の法会や講の営みを書き上げた目録で、建武4年(1337)の文書には本山・中山・末山の寺々の一覧が並びます。国東物語の第7章で「縁起は後代に整えられた」と書いた、あの時代の文書たちです。

ちなみに、近年「六郷山」の寺社境内が国の史跡に指定されたときの名称も、「六郷満山」ではなく**「六郷山」**でした。学術・行政の世界では、いまも史料どおりの呼び名が使われています。

じゃあ「満山」はどこから来たんですか?

「満山(まんざん)」は、山全体・山の寺々すべて、を意味する仏教のことばです。「満山の衆徒」といえば、山の僧たち全員のこと。

豊後高田市の文化財室によると、古代から江戸時代にかけて一般的に使われた呼び名は「六郷山」で、今日よく聞く「六郷満山」は近代に入ってから使われ始めた言葉です。ただし、いつ初めて使われ、いつ広く定着したかまでは、この説明からはわかりません。現在おなじみの呼び名を、そのまま中世の人々の呼び名として扱うことはできないのです。

とはいえ、この四文字はよくできています。役所の区画(六郷)と祈りの世界(満山)――半島の性格を作った二つの層が、一語のなかに同居している。1300年の歴史の要約としては、これ以上ない看板かもしれません。

今日のねほりはほり

  • 六郷=律令制の六つの郷(来縄・田染・伊美・国東・武蔵・安岐)。10世紀の辞書に見え、六つの名前は今も地名として残る
  • 古い史料に見える呼び名は「六郷山」。誰が最初に名付けたかはわからない。国の史跡指定名も「六郷山」
  • 「六郷満山」は近代に入ってから使われ始めた呼び名。最初の用例や定着した時期は、なお確認が必要

では、その六郷山を「開いた」と語られる仁聞菩薩とは、いったい何者なのか。 次回、根掘り葉掘りしていきます。