国東愛を試す
国東愛実力検定とは
国東愛実力検定とは、あなたの国東愛を試す検定テストです。この検定に合格すると、自分の国東愛が本物なのだという強い自信と生きる力を得ることができる、かもしれません。
練習問題と回答例
ここでは、国東愛検定で出題が予想される問題と回答例を紹介します。なお、国東愛検定協会は出題と正解について一切コメントを差し控えるとのことです。ぜひ、あなた自身の回答を考えてみてください。一方、国東愛検定協会ではあなたの解答例、出題例を募集中とのことです。 ご希望の方はメッセージページからお送りください。
仁聞菩薩ってどんな人?
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解答例1:仁聞菩薩についてはさまざまなエピソードが伝えられています。
まずは、六郷満山の寺社を一年で開基したそうですから、相当な地域興しパワーの持ち主だったに違いありません。 最初に宇佐神宮の始まり御許山に現れたときには国東半島中の山々を修行して回ったそうです。 これは今の「嶺入り」や「嶺道ロングトレイル」に繋がっていますから、かなり腕利きのツアーコンダクターでもあったようです。 それから、宇佐神宮の八幡神が出家して仏教修行を行なった際には自分の身を焼く修行を三年間続けたとのことですから、ギネスレベルの忍耐力の持ち主です。 また、現在でも「修正鬼会」の祭には鬼の姿で人々の前に姿を現すスーパー長寿のパフォーマーでもあります。
このように仁聞菩薩は、六郷満山の開祖というだけでなく、修行・神仏習合・祭礼など国東文化のさまざまな場面に登場する、とても働き者の菩薩です。 -
解答例2:六郷満山の二十八の寺社を開基した人と伝わっています。これは伝承で、最近の歴史研究では実在した人ではなかったというのが定説のようです。 しかし、こういう伝承が生まれた背景を想像してみるのも、国東の楽しみ方の一つかも知れません。 例えば、大昔に仏教修行に励んでいた人たちは、しっかりしたテキストもカリキュラムもなくて、 どんな修行をしたらいいのか、どんな僧侶を目指したらいいのかよくわからなかったかもしれません。 だから、理想の修行、理想の僧侶像のようなものが欲しかったのかも。それは「こんな方かも」「そんな方に違いない」 そんなこんなの修行僧たちの思いが、だんだん現実にそんな菩薩がいらっしゃって、 その人を目標に修行するというふうになっていったのかも知れません。
そもそも、六郷満山って何?
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解答例1: 大分県国東(くにさき)半島一帯に広がる古くからある寺院群の総称です。 満山の「山」は「寺」のことで、律令制の国東の六つの郷に広がるたくさんの寺というような意味で そう呼ばれるようになりました。伝承によると六郷満山の寺は700年代の初め頃、仁聞菩薩によって 開基されたと伝わっています。そのころ、宇佐神宮には弥勒寺というお寺も作られ六郷の寺社とともに 神と仏の交わる「神仏習合」の地としても知られています。
要するに、この半島の文化をざっくりあらわしたいときの便利な言葉です。 -
解答例2: この地域は、弥生時代から古墳時代にはすでに朝鮮半島を通じた大陸との交流が盛んでした。 仏教も早くから伝わっていて、日本固有の神を祀る文化と融合した神と仏の独特の文化を作り始めていたようです。 伝承によると六郷満山の寺は700年代の初め頃、仁聞菩薩によって開基されたと伝わっていますが、 実際にはそれよりずっと以前からそうした文化があって、それが後世になって「六郷満山」と呼ばれるようになったようです。
要するに、この半島のいつ始まったのかよくわからないくらい古くからの歴史をまとめて言いたい時に使う便利な言葉です。 -
解答例3: 初期には宇佐神宮内に開基された「弥勒寺」とその周辺の寺院の結びつきから生まれたようです。 その後、奈良・平安時代を通じて中央仏教との交流を深め、特に天台宗との結びつきを強めていきました。 平安後期から室町時代にかけて大きく発展しますが、戦国時代の混乱の中で多くの寺院が消失したり廃寺に 追い込まれたりしました。江戸時代の平和な時期に入り、この地域の村や人々の生活や風景に溶け込んだ仏教、 お祭り、習慣などが新しい六郷満山文化として受け継がれています。現在私たちが目にする石仏や祭礼、 山里の風景の多くも、その流れの中で生まれ育まれたものです。
要するに、この半島に伝わる文化のあれこれをなんとなく伝えたい時に使える便利な言葉です。
友人から「国東で半日時間ができた」と言われました。どこに連れていきますか?
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解答例1:それなら断然、旧千燈寺跡です。旧千燈寺は六郷満山絶頂期のころの中心的な寺の一つで、 多いときには百人を超える修行僧がここで修行したと伝えられています。戦国時代の混乱の中で、 木造の堂宇のほとんどが消失し、現在は石の仁王像や石垣などが残るだけですが、 中途半端に復元工事などが行われていないので、見る人の想像力を試される史跡です。
まずは、ふもと入り口の西行返しで江戸時代の巡礼ツアーによくある西行逸話で気分を盛り上げて、 小さな石仏をながめ、しばらく歩いて奥の院までずっと続く長い石段を登ります。 当時はたくさんの修行僧が寝泊まりした西の坊跡、立派な仁王像に守られた荘厳な本堂跡、薬王権現を 想像しながら最後の急な石段をゆっくり登ると奥の院に行き当たります。 その脇を左に抜けると林の向こうに突然開ける千燈岳と国東らしい切り立った尾根筋。 反対の林を抜けると圧巻の五輪塔群。どれも想像力を掻き立てる史跡です。 -
解答例2: 私は両子寺へ行きます。
理由は簡単で、国東らしいものが全部そろっているからです。 仁王像がいて、山があって、石段があって、寺があって、季節の花がある。 歴史に詳しくなくても楽しめるし、詳しくなればなるほど面白くなる。
国東の入門編としては最高の場所だと思います。 -
解答例3: 私は有名な寺には行きません。
裏山のくぬぎ林の中の緩やかな坂道を歩き、椎茸畑を横目にすぎ、尾根筋からの瀬戸内海、 姫島の眺めて一服。こんもり茂った原生林のなかを抜けて隣村の入江に出ます。海と山の交わる海辺の光景を眺めながら、 「ここに何百年も前から人が住んでいたんだな」
という話をします。国東の魅力は有名な観光地だけではなく、人が暮らし続けてきた普通の風景の中にもあると思うからです。 -
解答例4: わたしの押し塚に行きます。
それは、うちの裏山を少し登った秘密の場所にあります。いまは誰も通らない荒れた歩きにくい山の斜面ですが、 ほんの数十年前までは隣村と結ぶ大切な山道だったそうです。その庚申塚は、斜面の中腹にあって別方向からの 道と交わるところにあります。昔は道標の役割もしていたのでしょう。静かな山の斜面の林の中で、 青面金剛の厳しくもユーモアのある表情を眺めながら、この地域の人たちの思いや生活を想像するのも国東の楽しみ方だと思うのです。
もし仁聞菩薩に会えたら何を聞きますか?
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解答例1:本当に全部歩いたんですか?
(仁聞菩薩の想定回答:「いやぁ、あのぉ、そのぉ、… 」) -
解答例2: なぜ国東だったのですか?
(仁聞菩薩の想定回答:「いやぁ、気がついたらここだったわけで、…」) -
解答例3: 今の国東を見てどう思いますか?
(仁聞菩薩の想定回答:「いやぁ、今の若いもんもなかなか頑張っちょるのう。ちょっと会議が多いみたいじゃが、…」)
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