国東界隈、ねほりはほり編

4. あえて言うの? 神仏習合

国東物語では、宇佐宮のそばに弥勒寺が建ち、八幡神が大仏造立に力を貸し、国東の山々には寺が広がっていく様子を見ました。前回は、僧の姿をした八幡神の像に出会いました。

こうした神と仏の結びつきを、私たちはまとめて「神仏習合(しんぶつしゅうごう)」と呼びます。でも、神が寺を求めることと、神を僧の姿に彫ることは、同じ出来事なのでしょうか。

この四文字で何を一緒に眺められ、何を見落としやすくなるのか。今回はそこを根掘り葉掘りします。

神と仏は、もともと別々だった?

日本の土地で祀られてきた神々と、海を越えて伝わった仏教。人々は両者をまったく同じものとして扱ったわけではありません。違うものだからこそ、「神は仏の救いを求める」「神が仏の教えを守る」といった関係を考えることができました。

一方で、神社に行く人と寺に行く人が、いつも別々の集団だったわけでもありません。人々は神に祈り、仏を拝み、時には同じ場所で両者を祀りました。「混ざった」と一言でいうより、違いを知りながら、関係を結んでいったと考えるほうが、実際の姿に近そうです。

神のために寺を建てるとは?

宇佐宮には、神宮寺(じんぐうじ)である弥勒寺がありました。神社のそば、やがて同じ境内に寺が置かれ、僧たちが仏教の儀礼を営んだのです。宇佐神宮の歴史を紹介する資料では、八幡神が弥勒禅院の建立を求めたという託宣が伝えられ、のちに寺が宇佐宮の境内へ移されたと説明されています。

ここでの神と仏は「同じもの」とされたのではありません。神を祀る場所に仏教の寺と僧が加わり、仏の力による守護や救いが求められた。前回見た、八幡神が法蓮に弥勒寺の建立を約束する伝承も、この関係を物語として語っています。

ただし、伝承が語る神の言葉と、寺院が実際に建てられていった歴史は分けて読みたいところです。寺の跡が伝えてくれるのは、神を祀る営みと僧たちの営みが、宇佐で長く同居したということです。

神が仏を守り、仏道を歩くとは?

今度は、神が仏教を支える側に立ちます。八幡神は東大寺の大仏造立に力を貸すと託宣し、天平勝宝元年(749)には神輿で都へ迎えられました。国東物語の第3章で見た、戦いに関わる八幡神とは、また違う顔です。

さらに天応元年(781)、八幡神は「八幡大菩薩」の号を受けます。菩薩は、仏の悟りを求め、人々を救おうとする存在です。神が仏教の言葉で呼ばれるようになったわけです。前回紹介した奈多宮の僧形八幡神像には、仏道に入った神を僧の姿で表すという、もう一つの形が見えます。

「神が仏を守る」と「神も仏道を歩む」は、少し違う関係です。それでも一方が終わってから他方が始まったわけではありません。八幡神には、複数の役割や姿が重なっていきました。

神は仏の「仮の姿」になった?

さらに別の考え方が**本地垂迹(ほんじすいじゃく)**です。仏や菩薩が人々を救うため、この土地では神の姿で現れた、と考えます。この場合、神が仏に助けを求めるのとも、仏教を守るのとも、関係の捉え方が違います。八幡神の本地(本来の姿)は阿弥陀如来とされることがありました。

とはいえ、こちらが現れたから神宮寺や神を守護者とする考えが消えたわけではありません。同じ土地に寺と社があり、儀礼が続き、神の由緒も語られる。その上に、新しい説明の仕方が重なったのです。

一つの理論で神と仏の関係をすべて説明するより、宇佐の弥勒寺、八幡大菩薩の呼び名、僧形の像を並べてみる。すると「神仏習合」という四文字の内側に、いくつもの異なる結びつきが見えてきます。

では、なぜ「神仏習合」とひとまとめに呼ぶ?

寺を建て、神輿で大仏に会いに行き、神を菩薩と呼び、僧の姿に彫る。こうした営みを一緒に眺めるには、「神仏習合」は便利な言葉です。しかし、この語がいつ最初に使われたかは、ここでは確かめられていません。「昔の人にはこの言葉がなく、明治になって初めて作られた」と断定して、この歴史を説明することはできません。

むしろ大事なのは、一語にまとめたあと、もう一度ほどいてみることでしょう。神と仏が出会った場所によって、寺の役割も、神への願いも、語られた由緒も違います。宇佐宮と弥勒寺の関係から見えることを、そのまま国東のすべての寺と社に当てはめることもできません。

分けたあとにも残ったもの

明治初年、政府の神仏分離政策によって、神社と寺は制度上切り分けられました。宇佐宮の境内にあった弥勒寺も廃され、かつての堂塔は姿を消しました。現在その跡を訪れると、建物の不在によって、そこに寺があった長い時間をかえって意識させられます。

それでも、すべてが消えたわけではありません。奈多宮に伝わる僧形八幡神像、寺と社に残る由緒、国東で続く法会。今も目にできるものから、かつての関係をたどれます。

「あえて言うの?」への答えは、一つの言葉で複雑な歴史を見渡し、その中身を確かめるため、でしょう。「神仏習合」と呼んだところで調べるのを終えず、この土地では神と仏が具体的に何を一緒にしていたのか、また一つずつ見ていきたいのです。

今日のねほりはほり

  • 神仏習合は、神と仏が結んださまざまな関係をまとめて眺める言葉。語の初出は、ここでは特定できない
  • 宇佐では弥勒寺、大仏造立を助ける八幡神、八幡大菩薩の号、僧形八幡神像などに、異なる結びつきが見える
  • これらは一方向に進む四段階ではなく、場所や時代によって重なった営み。明治の神仏分離後も、跡や像、行事を通じてたどることができる

その神と仏の世界を、国東の山々では人々がどう歩き、どう受け継いだのでしょう。 次回は峯入りを根掘り葉掘りします。

参考資料