3. 八幡神は、どんな姿をしていたの?
国東物語では、宇佐の八幡神が地域の祭祀の中で育ち、託宣を通じて朝廷からも頼りにされるようになるまでをたどりました。
でも、神の言葉を聞く人々は、その神をどんな姿で思い描いていたのでしょう。 前回の仁聞菩薩は、八幡神の化身と伝えられます。神が僧として山を歩くという話から、今度はその神自身の姿を根掘り葉掘りしてみます。
八幡神に、決まった姿はあった?
第2章で見た八幡神は、人々が祭祀を通じて意思をうかがい、託宣として言葉を受け取る神でした。記紀の神話に詳しい姿が描かれた神ではありません。では、八幡神を信じた人々は、何を見て「神が現れた」と語ったのでしょうか。
その問いに豊かな答えをくれるのが、宇佐宮弥勒寺の僧・神吽(じんうん)が正和2年(1313)に編んだ『八幡宇佐宮御託宣集(はちまんうさぐうごたくせんしゅう)』です。八幡神にまつわる託宣や由緒を集めたこの書物には、神がさまざまな姿で現れる話が記されています。
ただし、書物が編まれた年と、そこに書かれた出来事の年は違います。たとえば古い時代に神が現れたと語る箇所も、その場に居合わせた人の記録としては読めません。ここでは「かつて神は本当にどんな姿をしていたか」より、後の人々が神の現れをどう語り継いだかに注目します。
童子、鳥、鍛冶の翁――なぜ姿を変える?
『御託宣集』の伝承では、大神比義(おおがのひぎ)の前に、八幡神が竹の葉の上に立つ三歳の童子となって現れます。別の場面では金色の鷹や鳩、さらには七つの顔を持つ鍛冶の翁としても語られます。
童子と翁、鳥と人。これだけ姿が違うと、どれが「本当の八幡神」なのか探したくなります。けれども、一つの姿に決めてしまうと、むしろ伝承の面白さを取り逃がしそうです。人々が神と出会ったと感じた場所や出来事が、それぞれ違う姿で語られた。いくつもの話を集めた書物だからこそ、その違いが一冊の中に並んでいるのです。
鍛冶の翁が出てくるから八幡神の起源は鍛冶の神だった、とまで決めることはできません。ただ、神の姿を語るときに、土地の人々が知る仕事や生き物が選ばれたことは、想像を誘います。
もう一つ、変わった話があります。法蓮(ほうれん)が授かった如意宝珠を、長く仕えた老人が持ち去る。法蓮に追いつめられた老人は金色の鷹となり、八幡神であることを明かす。そして弥勒寺の建立を約束する――という伝承です。姿を変える神は、ここでは宇佐の神と寺を結ぶ物語の主役にもなっています。
この話を寺の創建をそのまま記録したものと読むことはできません。神と僧との関係を、人々がどんな物語として伝えたかを示す一例として読むと、次回の神仏習合にもつながります。
神は海から来たの?
『御託宣集』には、八幡神自身の名乗りとして、「辛国(からくに)の城(き)」に「八流(やながれ)の幡(はた)」となって天降った、という言葉も伝わります。さらに、各地をめぐって国東郡安岐郷の奈多の浜の海中の大石に至った、という遍歴の話もあります。
第2章で見たように、宇佐と国東は古くから海を通じて人や文化が行き交う土地でした。だから、この海を越える神の物語には引きつけられます。ただ、「辛国」という託宣から八幡神の出自を確定したり、「奈多に上陸した」を歴史上の出来事として日付けたりはできません。
ここで見えるのは、神の来た道を、海を含む広い世界に求めた語り方です。神に土地の外とのつながりを与えることで、宇佐で祀られる神の物語は、奈多の浜からさらに遠くへ伸びていきます。
姿なき神が、僧の姿になった
では、人々が八幡神に与えた姿を、いま実際に見ることはできるでしょうか。
杵築市の八幡奈多宮には、平安時代に作られた木造僧形八幡神坐像が伝わります。剃髪し、僧の姿をした八幡神の像です。国の重要文化財に指定されています。
童子や鳥や鍛冶の翁として語られた神が、ここでは仏道に入った僧の姿で表されている。いつでもどこでも同じ姿をしていた、というわけではない八幡神が、仏教とともに歩む姿を持ったのです。像が作られた平安時代には、神と仏の関係が目に見える形でも表現されていました。
最初の問いに戻りましょう。八幡神は、どんな姿をしていたのか。 一つの姿を答えにするより、童子、鳥、翁、そして僧形像を並べてみるほうが、この神の伝わり方に近づけそうです。これらは神の正体を解く暗号というより、人々が神との出会いを語り、形に残してきた跡なのです。
今日のねほりはほり
- 『八幡宇佐宮御託宣集』には、童子・鳥・鍛冶の翁など、八幡神のさまざまな現れが語られる
- 「辛国」から奈多の浜へという遍歴は、神の来歴を語る伝承。実際の起源を確定する記録とは分けて読む
- 奈多宮には平安時代の僧形八幡神坐像が伝わる。仏教と結びついた神の姿が、今も残っている
神を僧の姿で表すとは、いったいどういうことなのでしょう。 次回は、宇佐と国東で神と仏が出会った過程を根掘り葉掘りします。
行ってみよう:奈多の浜と八幡奈多宮
八幡奈多宮は、杵築市の奈多海岸にあります。浜の沖の岩には鳥居が立ち、神が海から来たという伝承を思い浮かべることができます。目の前の景色と古い書物の「奈多浜の海中の大石」を重ねて眺められる場所です。
奈多宮に伝わる僧形八幡神像と女神像は重要文化財です。ただし、境内を訪れることと、像を拝観できることは別です。拝観については事前に現地へ確認してください。
かつて宇佐宮から奈多宮へ薦枕(こもまくら)を運んだ**行幸会(ぎょうこうえ)**の伝承も、この浜と宇佐の深い結びつきを語ります。その道筋と儀礼は、別の機会にゆっくり掘ってみたいところです。
出典メモ
- 神の示現・遍歴・法蓮の逸話:『八幡宇佐宮御託宣集』(正和2年/1313、神吽編)。巻の照合には「『八幡宇佐宮御託宣集』託宣・示現 年表」(山口大学、2014年)を参照
- 僧形八幡神坐像の指定・時代:国指定文化財等データベース「木造僧形八幡神坐像」
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