5. 都の仏教、国東の仏教

そんな背景の中で、もう一つ、着々と力をつけつつある人々がいました。 それは仏教寺院に関わる人々です。

国家を支える都の仏教

奈良の都では、仏教は国家を支えるための重要な制度として整えられていきました。 大きな寺院が建てられ、僧侶は国家に認められた身分として管理され、経典を学び、国家の安泰を祈る役割を担いました。 仏教は人々の個人的な信仰であると同時に、都を守り、国を治めるための仕組みの一部でもあったのです。

海を渡って根づいた在地の仏教

しかし、宇佐や国東に広がった仏教は、少し趣が異なっていました。 もともと北部九州の仏教は、海を越えて何百年にもわたって断続的に やってきた人々とともに少しずつ広がったものです。

渡来した人々の中には僧侶も含まれており、寺院は彼らの信仰や学びの場 として地域社会の中に根を下ろしていきました。 そのためこの地の仏教は、国家と結びつく以前から人々の暮らしや地域の神々への 信仰と深く関わりながら発展した、より在地色の強い仏教だったのです。

その証拠は、今もこの土地に残っています。宇佐平野の周辺には、虚空蔵寺跡法鏡寺廃寺跡など、 七世紀末から八世紀はじめにさかのぼる古い寺院の跡がいくつも見つかっています。 九州でも最古級のこれらの寺は、朝廷が地方に建てさせた官の寺ではなく、 この地の豪族たちが自らの力で建てたものと考えられています。 国家の仏教が地方へ届くよりも早く、海を渡ってきた仏教がこの地域に根を下ろしていたのです。

宇佐平野の古代寺院群と国東半島

宇佐平野の周辺に残る古代寺院の跡——この地に早くから根づいた仏教の証拠
(古代寺院はいずれも跡、おおよその位置。
標高データ: 国土地理院/クリックで拡大)

暮らしに寄り添う仏教

人々にとって仏教は、病気や飢饉を鎮め、雨を呼び、豊かな実りを願う力として受け止められていました。 寺院の僧侶たちは経典を読むだけでなく、人々の相談に乗り、ときには医療や土木の知識を伝える存在でもありました。

未来への希望——弥勒信仰

こうした人々に寄り添う仏教の中で、とりわけ大きな役割を果たしたのが弥勒信仰でした。 この地で広まった仏教には弥勒信仰の影響が見られます。

弥勒菩薩は、はるか未来に現れて人々を救うとされる仏です。 その信仰はもともと遠くインドで生まれ、中国や朝鮮半島を経て、この列島へも伝わりました。 当時の人々にとって、戦乱や疫病、飢饉は決して珍しいものではありませんでした。 そんな不安な時代の中で、

「今は苦しくても、いつかより良い世の中が訪れる」

という弥勒の教えは、大きな希望として受け入れられていったのです。

この弥勒信仰は、宇佐の地に深く根づいていきます。 のちの時代、宇佐神宮のかたわらに建てられる神宮寺が「弥勒寺」と名づけられたのは、 その何よりの表れでした。神様のそばに、弥勒の寺。 この不思議な組み合わせが生まれるいきさつは、次の章で見ることになります。

山そのものを修行の場に

さらに国東半島では、山そのものを修行の場とする信仰が広がりはじめます。 思い出してください。国東の山々は、火山が生んだ半島の峰々です。 噴火が残した凝灰岩は、そそり立つ岩峰となり、谷々の奥に無数の岩屋(洞窟)を刻んでいました。 険しい岩場は心身を鍛える行場に、静かな岩屋は祈りにこもる聖域に。 火山がつくったこの地形は、修行の舞台としてこれ以上ない条件を備えていたのです。

ただし、この頃から山奥に大きな寺院が建ち並んでいたわけではありません。 寺院の多くは人々が暮らす里の近くにあり、僧侶たちはそこを拠点として山へ入り、岩場や峰を巡りながら修行を行っていました。 山は生活の場ではなく、祈りと修行のための聖なる場所だったのです。

険しい峰を歩き、岩屋にこもり、自然の中で心身を鍛える。 そうした実践の積み重ねが、後の峯入り修行や六郷満山の基盤になっていきました。

このように、国東の仏教は、人々の暮らしを支え、未来への希望を語り、そして山々を修行の場として発展していきました。 その姿は、都の大寺院で営まれた国家仏教とは少し異なる、この土地ならではの仏教だったと言えるでしょう。 そしてこの仏教が、すでにこの地に根づいていた神々への信仰と出会ったとき、 日本でも特に独特な宗教文化が生まれはじめます。

それが次に語る「神仏習合」です。


行ってみよう: 宇佐神宮の杜に残る弥勒寺跡

本編で紹介した弥勒寺は、宇佐神宮の境内に千年以上ものあいだ建ち続けましたが、 明治はじめの神仏分離によって廃され、今は跡だけが残っています。 場所は西参道、屋根のついた美しい呉橋(くれはし)を渡った先の南側。 草地の中に、金堂や塔の基壇が静かに横たわっています。

発掘調査によれば、弥勒寺は奈良の薬師寺と同じく、金堂の前に東西二つの塔を構える本格的な伽藍でした。 金堂には薬師如来、講堂には弥勒仏が祀られ、最盛期には数十の建物が建ち並んでいたと伝えられています。

神社の鳥居をくぐった杜の中に、大寺院が堂々と建っていた―― 「神社とお寺は別のもの」という私たちの感覚が、いかに新しいものであるかを、この静かな草地は教えてくれます。 宇佐神宮にお参りの際は、ぜひ少し足を延ばしてみてください。

在りし日の弥勒寺の姿は、宇佐風土記の丘にある 大分県立歴史博物館の常設展示「宇佐八幡の文化」で、 往時の宇佐宮を再現した復元模型として見ることができます。弥勒寺跡とあわせて訪ねるのがおすすめです。

詳しくは宇佐市の紹介ページを、 周辺の神仏習合ゆかりの地めぐりには宇佐市観光協会「神仏習合」をご覧ください。